SD戦国伝サイト 武将髭

ざっくばらんな作品研究レポート。

BB戦士とは? 千力は千生の生まれ変わりか? 大旋鬼頑駄無の謎
BB戦士以外で商品化されたキャラクター 作品名マーク早見表 模型オリジナル形態
SD戦国伝を作った人たち 天下統一編のラストを考える

BB戦士とは?〜SD戦国伝、その誕生と歴史〜

「BB戦士」とは、『SD戦国伝』のプラットフォームとなったプラスチックモデルシリーズである。
BB戦士第1弾「ガンダマン」は、1987年にバンダイから発売された。

・BB戦士誕生以前
バンダイの模型の歴史は、ガンダマン発売の約20年前に端を発する。
かつて『サンダーバード』などのプラモデルを発売していたイマイが、その後継作である『キャプテン・スカーレット』の商品の不振などにより1969年に倒産してしまう。
『サンダーバード』の玩具の版権を持っていた当時のバンダイは、イマイから同作の金型を引き継いだ商品を発売。
そのほか、その後継作の一つである『謎の円盤UFO』や、日本の特撮やアニメのキャラクターのキットを自社独自に開発して発売した事が、バンダイ模型のキャラクタープラモデルの始まりとされる。

当初のバンダイ模型の商品はSFメカや特撮などのキャラクターモデルのほかにスケールモデルなどだったが、そんな中で1970年代末に発売されたのが「パロデカ」だった。
当時アメリカのアーティストDave Deal氏による誇張されたカーイラストを元にしたプラモデル「Deal's Wheels」が日本でも発売されており、それを意識した事がパッケージなどからも分かるコミカルなカーモデル「パロデカ」は、ゼンマイ走行版も発売され、その商品コンセプトは「ポケッタ」(車)、「オットバイ」(バイク)、「ジャイロプレーン」(飛行機)などの様々なバンダイのディフォルメキットにも受け継がれた。
このようなキットは当時他社からも発売されている一つのジャンルにもなっており、そのほかにもバンダイは79年にはネズミに追いかけられるギミックを持つ『ドラえもん』のキットや、『がんばれ!!タブチくん!!』のタブチくんやヤスダくん、80年には『男はつらいよ』の寅さんのディフォルメキットなど、コミカルさを重視したギミック付きプラモデルを発売していた。
そんな中、1980年に発売した『機動戦士ガンダム』のキットが劇場版公開時に爆発的にヒットした事で、アニメの機体をスケールモデル的に表現した「ガンプラ」がバンダイのプラモデルにおける地位を不動のものとしていた。

これらディフォルメ系キットの歴史とガンプラの歴史が融合するきっかけとなったのが、タカラのゼンマイ駆動玩具「チョロQ」のヒットである。
コミカルな造形やゼンマイ走行ギミックを持つチョロQのヒットを受け、タカラがスポンサーであった『太陽の牙ダグラム』の劇場版公開時に同作のキャラクターを低頭身化した『チョロQダグラム』が同時上映される。この『チョロQダグラム』の商品がヒットした事から、バンダイもガンダムなどのキャラクターのディフォルメキットを発売するようになった。
それが「ロボチェンマン」である。
バンダイで「ポケッタ」や「オットバイ」なども担当した外岡仁氏がデザインも手がけたこのシリーズは、「ザブングル」のウォーカーギャリアを第1弾として、ガンダムやザクを低頭身化したキットのほか、元々2頭身である『超力ロボ ガラット』(通学ロボ)などもラインナップされ、変形してゼンマイ走行も可能なキットであった。

・BB戦士の誕生
その後もバンダイ・ホビー部では、『Ζガンダム』〜『ガンダムΖΖ』放送時期前後にプラモデルとして「カワルドスーツ」や、完成品として「あそボット」など、ガンダムシリーズを含む様々なキャラクターのディフォルメ商品の歴史を積み重ねていた。
それらに続くシリーズとしてスタートした「BB戦士」は、当初はファーストガンダムからΖΖまでに登場するMSを元にしたキャラクター(ガンダムを元にしたガンダマンなど)のキットが6弾まで発売された。いずれもスプリングでBB弾を発射するギミックを持ち、対戦して遊ぶ事のできるゲーム性を持ったホビーであった。

・「SDガンダム」へ
その後『逆襲のシャア』が公開された際、同作に登場するMSもBB戦士のNo.7以降として発売される事になった。
この頃には、当時「キン消し」などの商品をヒットさせたバンダイの佐々野雅哉氏の企画によるガシャポン商品などで「スーパーディフォルメ(SD)ガンダム」が人気を博しており、『逆襲のシャア』の同時上映も『機動戦士SDガンダム』であった。
そのためBB戦士もNo.7νガンダムからはガシャポンのSDガンダムのデザインラインを取り入れ、体型が2頭身に縮むなどシリーズのコンセプトが変更される。
ガンダマンのようなオリジナルでなくMSをそのままSD化した商品であるこのνガンダム以降、シリーズ名も「機動戦士SDガンダムBB戦士」となった。
弾丸発射ギミックは残されたが、リ・ガズィのバックウェポンシステムなどキットによってはBB弾以外のものも発射するようになる。

・『SD戦国伝』開始
『逆シャア』シリーズが一段落した後、主に小宮山善一氏や木嶋久訓氏が担当していた当時のBB戦士は、ファーストからΖΖまでのMSで初期に発売されなかったものをキット化したほか、コミックボンボンでやまと虹一氏(原作は安井尚志氏などのクラフト団)によって連載されていた『プラモ狂四郎』に登場するムシャガンダムやパーフェクトガンダムを発売するなど様々な方向にラインナップを広げていった。このうちムシャガンダムがBB戦士に新たな機軸を生み出す事になる。

『プラモ狂四郎』からムシャΖガンダムも発売されたが、これ以降武者キットは『SD戦国伝』と銘打たれ(それと同時にムシャガンダムもSD戦国伝のキットとされたため武者Ζは第2弾扱い)、ガシャポンのSDガンダムのデザイナーであった横井孝二氏によって武者ΖΖなどSD独自の武者ガンダムもデザインされる。そしてνガンダム以降のBB戦士の商品用デザイナーであった今石進氏によるコミックが説明書に掲載されるなどして、武者頑駄無達の登場する『SD戦国伝』のストーリーが展開される事になった。
それ以降はラインナップの大半が「SD戦国伝」となり(ちなみにNo.32ムシャカゲダブルゼータよりシリーズ名から機動戦士が消えSDガンダムBB戦士となる)、No.47農丸頑駄無で「SD戦国伝」の第1シリーズは終了したが、No.50武者風雷主から第2シリーズ『風林火山編』が開始し、その後もBB戦士は年交代でSD戦国伝のシリーズを制作し続けていく事になる。

ロボチェンマンやガンダマンなどのシリーズは必ずしもヒットした商品ばかりではなかったらしいが、この豊富なギミックと独特の世界観を持つ武者頑駄無は軌道に乗り、さらに騎士ガンダム(カードダスを中心に展開)やコマンドガンダム(元祖SDを中心に展開)など様々なSDオリジナルキャラクターとそれを主人公とした作品も作られ、SDガンダムの世界が広がっていく。
ブームのピークといえる1991年にはSDガンダムは当時の販売目標を上回っていた『F91』のリアルガンプラの更に十数倍の売り上げを見せるまでになったという。

1992年発売の阿修羅頑駄無ではスプリングギミックはあるものの発射ギミックはなく、93年発売の機甲神エルガイヤーではスプリング自体付属せず、95年以降スプリング使用のキットは激減するなど、「BB戦士」の名の由来であった要素は次第に消失した。

タイトルに「SD戦国伝」と付く作品も1998年までで一旦終了となり、その頃には騎士やコマンドなどのシリーズも途絶えていたが、その後もBB戦士では「武者」の名の付くシリーズが2006年までは展開されていた。
1999年以降は武者以外のラインナップも再び多くなっており、No.193ガンダムGP01Fbのパッケージリニューアル以降は久しぶりにシリーズ名表記が「BB戦士」のみになる。以降もそう記載されたキットが多くなるが、広告等では現在に至るまでSDガンダムBB戦士のロゴも使用されている。

・BB戦士、そして武者ガンダムとは・・・
2012年からは過去のキャラクターの再キット化を中心としたシリーズ「LEGENDBB」でSD戦国伝のキャラクターもキット化されている。
BB戦士がNo.400を突破している現在、その中でBB弾を発射するキットが17個しかない事を考えれば、シリーズ名本来の意味が持つ要素はシリーズの殆どの商品が持たない事になるが、現在では「BB戦士」というブランド名は、海外販売する際にもHG、MG、PGなどと同様にBBのシリーズ名が使用される事もあるなど、SDスケールのブランドの一つとして広く認知されている。

「ガンプラ」と「ディフォルメキット(後にSD)」、そして「プラモ狂四郎」という三つの流れが融合して『SD戦国伝』は誕生した。
(そのため武者ガンダム企画原案として安井尚志氏とやまと虹一氏がクレジットされる事もある)
「ギミック付きプラモデル」の末裔でもあるBB戦士の武者ガンダムは、ファーストガンダムから10年目にして既にユーザーが高齢化し始めていたガンダムがSDガンダムを原動力に再び子供を呼び戻すにあたって、その中心的な立役者となったのである。


(2018年3月改稿)(2024年4月最終更新)
プラモデルとしての「SD戦国伝」の成り立ちと起源を、私見を交えつつ時系列順にバンダイのプラモとしてはこれ以上さかのぼれないと思う所までさかのぼってまとめてみました。
「バンダイ キャラクタープラモ年代記」やその他出版物なども参考にしていますが、特に雑誌はどの号にどんな記事が載っているかネット検索では分かりにくいことも多いため、SDキット関係者のインタビューなどが充実している号を以下に列記しておきます。
・G20 Vol.8(1999年)
・電撃ホビーマガジン2009年12月号(の別冊付録)
・ホビージャパン2012年5月号
・グレートメカニックG 2019WINTER
・グレートメカニックG 2023SPRING
特にグレートメカニックG2019WINTERの外岡仁氏のインタビューでロボチェンマンがチョロQダグラムのヒットを受けて発売したものと語られた事で、この二つの事象の関係が繋がりました。
ちなみにBB戦士の名の由来となった「BB弾」の名の由来は、大元はショットガンの散弾を大きさ別に分類した規格の一つ「BB」と同サイズだった事からきており、球状でもあることから日本ではBall Bullet弾とも説明されますがそれではBullet(弾)が重複しており、白い白馬みたいな表現です。
実際には現在のBB弾は散弾のBBサイズより大きいらしいですが今もBB弾の名前だけが残っているところも、BB戦士とちょっと似ていますね。


SD戦国伝ムリクリ論証
第1回「千生→千力「生まれ変わり」説はあり得るか?(改訂増補版)」


千力頑駄無の説明書には、
「千力は、千生大将軍の生まれ変わりらしいぞ?!」
と書かれています。
「らしいぞ」という事は、かなり断定にすら近い書き方です。
当サイトでは、出来るだけ説明書の文章は肯定したいところですが、
この記述はどうなのでしょうか。


この記述の肯定が難しいところは、千生が生きていた時代と
千力が生きていた時代が普通に考えると時代が近すぎることにあります。
まず、千生と飛天、大牙は幼なじみです。
さらに、飛天、大牙と爆流は兄弟です。
そして、爆流は『七人の超将軍編』で千力と共演しているのです。
これでは千力のいた時代が千生のいた時代の直後であっても不思議ではなく、
少なくとも一人の人物が一度死んで生まれ変われるほどの時間はないように見えます。

しかし、このように考えてみてはどうでしょうか?

爆流は、大牙、飛天とすごく歳の離れた兄弟だった!

爆流頑駄無は、大牙頑駄無、飛天頑駄無に続く「からくり一門」三人目の兄弟です。
そして、この三人は大牙のコミックワールドの直後にどうも合流したらしいのです。
この時点で、大牙たちが20代後半だったとしましょう。
そして、このとき爆流がまだ10歳ちょっとの子供だったとしたら、
この二人の間には十数歳の歳の差があることになります。
何しろ爆流はその後「武神輝羅鋼編」の時代近くまでは現役であったらしいのですから、
この時点では「かなり若い」と考えた方が妥当です。

もちろん、そんな子供が一人でうろついていたとは思えませんが、
大牙は「他の兄弟"たち"と合流する」と言っていたため、
この頃の爆流は一人ではなく、おそらくは別の親族と一緒に行動していたのです。

ここで、もし彼らが実の兄弟でなく、志を同じくするものという意味での兄弟だとしたら、
それこそいくらでも年齢は離れる事が出来ます。
しかし爆流の説明書には「爆流は大牙、飛天と兄弟らしいぞ?!」と書かれており、
特に何の但し書きもなく"兄弟"と書かれている以上、実の兄弟と考えたほうが自然です。
そもそも説明書の記述を肯定するためにこの論証をしているのであり、
千力の説明書を肯定するために爆流の説明書を否定したのでは本末転倒なのです。


さて、一方の千生は、大牙のコミックの後、彼らと別れて破悪民我夢に向かっています。
しかしそのしばらく後、彼は突然この世を去ってしまうのです。
理由は不明ですが、新生闇軍団の手に掛かったのかもしれません。

しかし、彼の存在をこれからの時代にも必要と思った天は、彼を生まれ変わらせます。
ちょうどその頃はかつての四人の大将軍の生まれ変わりも次々に生まれており、
新生闇軍団の登場を受けて大将軍に匹敵する強さのものを
意図的に同じ時代に集結させていたのかもしれません。
これによって千力頑駄無が生まれます。


これらの流れを年表的にまとめると、以下のようになります。

註・下表の「武者七人衆編の○年後」の部分は、「このあたりの時代ではないか?」
という大まかな目安を立てているもので、はっきりした根拠があるわけではありません。
よって、殆どの数値は±2〜3年の誤差を想定しながら考えるものとします。 

年代

主な出来事(該当時代の作品名)

主な人物の年齢

武者七人衆編の5年前

 

 

 

真悪参の子供誕生

   

武者七人衆編の直前

真悪参失踪。

 

       

武者七人衆編の15年後

風林火山編

殺駆三兄弟50代

 

真悪参の子供20歳

真悪参の孫誕生

 

武者七人衆編の20年後

   

千生誕生

     

武者七人衆編の30年後

風林火山編の
15年後

殺駆三兄弟の孫誕生

       

武者七人衆編の35年後

千生大将軍の
コミック

殺駆三兄弟の孫5歳

千生15歳

爆流誕生

真悪参の孫20歳

真駆参誕生

武者七人衆編の40年後

 

荒鬼誕生
(天下統一編から70年後なので、四代目大将軍が生きていたら85歳。「生まれ変わって」いても不思議ではない)

武者七人衆編の45〜50年後

大牙のコミック

 

千生
25〜30歳

爆流
10〜15歳

大牙
25〜30歳

 

武者七人衆編の55年後

伝説の大将軍編
(大将軍列伝)

荒鬼15歳

千生35歳

爆流20歳

 

真駆参20歳

 

直後、千生死亡。

 

即、千力頑駄無誕生。

武者七人衆編の70年後

七人の超将軍編

荒鬼30歳

千力15歳

爆流35歳

   

武者七人衆編の85年後

超機動大将軍編

荒鬼45歳

千力30歳

爆流50歳

   

武者七人衆編の85〜90年後

爆進丸のコミック

   

爆流
50〜55歳

   

武者七人衆編の90〜95年後

機動武者大戦

荒鬼
50〜55歳

千力
35〜40歳

爆流
55〜60歳

   

こうして見てみると、意外と千力を千生の生まれ変わりとして考え、また大牙のコミックの時点での爆流をかなり若く考えた方が、機動武者大戦登場時の年齢に無理が生じないことが分かります。
千生と千力を同一人物として考え、また千生大将軍のコミックの時点での千生を20代程度、しかも爆流も同年代として考えると、機動武者大戦での彼らの年齢が80代程度になってしまいます。(まあそれを言ったら、烈破と烈空もこの時代かなりの老齢なのですが・・・)

また、上記に示すとおり、ここでは真駆参を真悪参の「曾孫」と仮定しています。
かなりギリギリの計算ですが、曾孫であれば「子孫」と表現されてもおかしくないと思います。

あくまで、「こう考えればつじつまが合う」という話です。
千力に限らず超将軍たちの「生まれ変わり」記述は全て「らしいぞ!?」と、断定を避け、どうとでも取れる書き方をされていますので、別人と考える考え方も充分あります。

しかし、本稿の表題に対する答えとして、千生→千力の「生まれ変わり」説は、「ありえる!」と考えたいと思います。

それにしても、天下統一編から地上最強編までの85年程度(この計算だとそうなる)の間に、旧大将軍家は一体どこに行ってしまったんでしょうね?
 

(追記)2012年末発売のLEGENDBB武者號斗丸の説明書で、伝説の大将軍編が天下統一編の約100年後と記述されました。
また真駆参大将軍WEBコミック2弾で、真悪参は失踪前に既に息子(射駆零)がいた事になりました。
それに合わせて上記の表も改訂しようかとも思ったのですが、伝説の大将軍編の位置が15年ずれるように調整するだけですので、あまり大きな違いはないとしてとりあえずこのままにします。
真駆参大将軍WEBコミック1弾では伝説の大将軍編が武者七人衆編の数百年後と書かれるなど、よく分からなくなっていますし、今後も後付されるたびに改稿するのもキリがないですしね。


SD戦国伝の謎・1 大旋鬼頑駄無


砕牙頑駄無の師匠は、当初死亡したとされていた。
その師匠の子供を人質にとられたため、砕牙は百鬼夜行衆に協力させられていた。

しかし、後にこの師匠が大旋鬼頑駄無であったことが判明する。
そして自身のキットの漫画で健在であることが確認されている。
しかし、死んだんじゃなかったのか?


大旋鬼は当時、武者牙流紅具と名を変えて璽悪の部隊に潜入していた。
そのため、消息がつかめず一般には死亡とみなされていたのは分かる。
しかし、BB戦士では明確な描写はないが、他媒体によれば、
砕牙(砕虎導牙)も璽悪の部隊に所属していたらしい。
BB戦士頑駄無轟炎王の初期出荷分のキットの箱底に記載されていた組織図に、ちゃんと所属が書いてあり、璽悪の部下で間違いありません。

気づくだろう、普通・・・

変装してるとはいえ、長年修行を教わってきた相手なんだぞ・・・
同じ部隊にいて、気づかないのか?
てっきり死んだと思ってて、その子供が人質にとられたので
やむなく敵に入ってみたら、師匠生きてんじゃん!と気づいたということなのだろうか。

しかし、大旋鬼や撃流破のコミックを見る限りでは、大旋鬼が
間者として潜入していた事は、少なくとも頑駄無軍団上層部は知っていたのである。
(武威凰や百烈将と連絡を取っていたらしい)

教えろよ!

砕牙は自分の師匠が死んだと思ってたんだぞ?
師匠死んだりしたら落ち込むだろう。生きているなら教えてやって欲しいものである。
砕牙のような律儀な奴なら口も堅いはずなのに、彼にまで隠す必要があったのか?
仮に、砕牙自身がもともと師匠が生きていることを知っていて、
純粋に「師匠の子供が人質にとられたから」敵に寝返ったのだとしたら、
解説文に「亡き師匠の・・・」と書くのは不自然である。
砕牙は師匠が生きてることを知ってるんだから、
単に「師匠の子供が人質に・・・」と書けばよいからである。

それにしても、2人も変装した頑駄無軍団が加わっていた璽悪の部隊、
内部から叩こうと思えば簡単だったかもしれない。


(ただし、このことは大旋鬼のコミックと砕牙のコミックの
順番を逆と考えれば割とスムーズに行く。
つまり、大旋鬼のコミックは武神輝羅鋼編の前日談で、あのあと大旋鬼が
本当に死んだのだとすれば、砕牙の「亡くなった師匠の子供を人質にとられ・・・」という
文章も、特に何の説明もなく理解できるのである。
しかし、いくつかの状況から考えて、やはり大旋鬼と撃流破のコミックは
本編の後、百鬼夜行衆の残党との戦いを描いた物語と考えた方がよさそうなのである。
(そもそも死亡理由が全くの不明である。)

「SD戦国伝の謎」シリーズは作品を見ていて「えっ?えっ?どういう事?」と思ってしまった部分を書いていこうと思います。
今回の事はつじつまが合わないというほどではありませんが、もう少し説明をして欲しかったというところのようです。頑駄無軍団はあんまりコミュニケーション取り合ってなかったのかもしれません。
一番疑問なのは大旋鬼は「自分の子供が人質にとられてるのに、自分は何もしなかったのか?」ということですよねぇ。